幸せはこわい

生きているとつらい思い出が増えすぎてしまう。幸せは怖い。幸せを知ってしまうと、自身の幸せの頂点に達しないものを切り捨てて苦しみが増えてしまうから。幸せに甘やかされて、苦しみに耐える力を失ってしまうからつらい。井の中の蛙であったほうが、ずっと楽だったとも感じられる。身一つで、自ら大海へと繰り出したのは自分の犯した最大の罪かもしれない。苦悩に打ち勝てると思っていたけれど、心身ともにそこまで強くもなれなかったし、落とし穴に自らはまってはずっと泣きわめくようなことを繰り返し、どこで生きていくこともできなくなった。死ぬ場所さえ決められなくなった。安息の地がどこにも無くなった。どこかでブレーキをきかせておけば、うまく生きられたのかもしれない。ここで生きる、と決めて順応できたのかもしれない。否、元々どこにも順応なんてできなくてずっと誤魔化して生きていたのかもしれない。誤魔化すのが中途半端にできて、新しい世界を見ては、最終的にどこでも続けていくことができなくて自らも周囲も去って行ったのかもしれない。

とにかく、つらい記憶ばかりが頭に残り、愛憎をかき消すことができずに進もうとしてもそれに攻撃され心身が磨耗し動けなくなるのは私のバグなのだろうか。どんなに苦しくとも動けている人間は憎らしくも思える。もう疲れてしまった。もしや、苦しい思い出や劣等感ばかり残るのであれば、これ以上何かを知りたくはないし、何も経験したくないとも思う。しかし、動かなければそれらを振り払える可能性すら失われてしまうことも分かっている。どうにかして身体を震わせて動きたいとは思えども、縛られて動けない。疲れて倒れ込んでいる。休んでいる暇なんてないけれど、悲鳴をあげている。もう、どうしようもない。救われる保証もない。今の所、歩けば歩くほど底なし沼に足を取られてずぶずぶになっている。もどる井の中などなくした。立ち止まっていれば地面は崩れる。そこではただ泣くことしかできない。ずっとごまかすために色々なことを楽しみ生きてきたけれど、全て幻で、幻に幻を重ねるという、ただの上塗りに過ぎず、どんどん醜い形へと姿を変えて行く。一度醜くなれば、それを修復するのはひどく難しいことだ。しかも、全て誤魔化しと来たら。疲れてしまった、もうなにも意志を持ちたくない。息をしているだけで精一杯だ。余計なことをしてまた取り返しのつかない失敗をしたくない。だけど何かしなきゃ改善すらできないことは知っている。どうすればいいかもう分からないし、楽しかった頃には二度と戻れない。一日中、ベッドの上でそんなことを考えては日が暮れるのを待っていてとても悲しい。

閉鎖病棟からこんにちは⑵〜子宮に還る〜

刑務所のような場所で、思考力と自由を奪われざるを得なかった人々に悲しみを覚えてはようやくここまでたどり着いてしまったのだという自分自身にひどく呆れ返った。

 
両親や、親族にもそのことは知れ渡り、母親は隔日で見舞いに来てくれた。一人っ子がこのように生まれ育ちこんな親不孝をはたらくというのは、ひどく耐え難い事だっただろう。
それでも”一番つらいのはあなたでしょう”とフォローをしてくれて、とても情けなくなった。
父親も忙しい中田舎から一度面会に来たが”お前は警察にも世話になってまるで前科一犯だな”と笑い飛ばしてくれた。
 
正直、わたしには居場所がどこにもないように思えていた。どこへ旅をしようと、どこに住もうと。
生まれ育った土地でさえ自分はよそ者だと感じていた。フランツ・カフカの小説にひどく感情移入できるほどに、どこにも帰属意識を感じる事がどうしてもできないままこの歳になってしまった。
それはどうしてだか、まだまだよくわからないし、その気持ちは続いている。
カフカの生い立ちのような、そう感じさせる要素などわたしにはどこにもなく、純粋な日本人であり帰る家も確かに用意されているはずなのだが、どうしても実家にいると体調を崩してしまうからなかなか帰れずにいる。
 
そうやって体調を崩す自分にも嫌気はさすが、それで一人で様々なコミュニティを転々としている不良な一人娘を両親が少しでも赦してくれた事には、感謝を隠せず、なにも孝行ができない己が身をひどく恥じもした。
 
病棟の中では、まだ、思考を奪われていない人間が何人かいた。半数以上の患者は自ら会話をしようとはせず、虚ろな目をしていたものの、やはり若くして私のようなきっかけで入院している患者も幾人かいた。他には、薬物の二次障害をもつ患者、原因不明の難病にとりあえず”統合失調症”と名付けられたのではないだろうか?と思うような状態で入院している患者もいた。
彼らとはすぐ打ち解ける事ができて、あまりにも暇を持て余している時間にトランプをだらだらと続けながら、沢山の話をした。
 
他には広間にある本を借りて読んで読んだり、久しぶりにTVを眺めていた。23時までの金曜ロードショーが終わるのは23:20分で、ちょうどクライマックスのシーンが見られなかった事をそこにいた皆で嘆いたことが思い出に残っている。
 
暇は、様々なことを考えさせる余裕を生み出す。
疲れたときわたしは四人部屋のベッドの仕切りになっているカーテンを閉め切って、胎児の姿勢でただただぼうっとしていた。
今までのことを振り返ったり、いつものように考え事をしたり、なにも考えずにいることも多かった。
仰向けになれば4つの乳房のようなランプ、火災報知器などがついた見慣れない天井が広がっており、天井を無心で見つめるのも好きだった。
また、仕切りのペパーミントグリーンのカーテンはひらひらと揺れてドレープを描き、高く広がりベッドに寝転がる自分を包んでくれた。
まるで、胎内に回帰したような気持ちで、それがなんとなくゆらゆらと安心感を与えさせた。
 
硬くて週に一度しか変えられないベッドのシーツ、簡素な枕。
それでもそのカーテンの揺れに気持ちを任せれば、とても純粋な気持ちになることができた。
 

閉鎖病棟からこんにちは〜Kranke〜

オーバードーズによる窒息死を狙っての自殺未遂は失敗に終わり、代わりに多くの人からの心配を買ってしまった。

救命室でいきなり肺炎に罹りそれも落ち着き、病床が用意できたとのことで親に連れられ、措置入院のため息つく間もなく閉鎖病棟へと直接向かいスムーズに入院への手続きは進められた。
 
ナンバーキーと医療従事者の持つカードキーで厳重に鍵のかけられた四階の病棟へと案内される。そそくさと面会が行われ、入院に関する説明を受け、それらの書類にサインした。
 
それから、病棟へと通された。患者達と遭遇しつつ四人部屋のベッドで軽く挨拶を済ませた。
 
病棟には、未だかつて見たことのない風景が広がり快適に保たれているにもかかわらずどこか湿っぽい空気が充満していた。
 
統合失調症患者に見られる特有の表情として、プレコックス感というものがあると聞いたことがあるが、おそらくその感覚が漂う人々が多く見受けられた。
 
そこにいるほとんどが、私にとって正直人間には見えなかった。人間の形をした別の何かに思えた。悲しくなった。
その人間の形をした者達はみな表情が抜け落ちており、どこか上気した頬に目は虚ろで、円形をした作りの病棟内を何周も何周も、あたかも足枷をされた囚人のようなするびく姿勢で歩き回っていた。
おそらくそうさせられるまで投薬によってコントロールしなければ、そう歩き回ることさえ困難な状態に陥ってしまう人々だったのだろう。
 
そして、病棟内の制限はとても厳しいものであった。母親に様々なものを家から持ってきてもらった。着替えからリングメモ、ボールペン、好きな本、iPod。それらのほとんどが、看護師によって没収された。
リングメモはリング部分が凶器になり得る、とのことでNGを出された。
履いていたスニーカーの紐は全て引っこ抜かれ親元へと回収され、そしてその場で服を脱がされ、手荷物検査をさせられた。
何も凶器になるものを持っていないことが確認できたのちに右手に番号の書かれたリストバンドを付けられた。
 
やはり、まるで刑務所ではないか。
情報源はホールにあるテレビ、そして新聞、あとはホールに置かれているおそらく検閲済みの本くらいのものだった。
情報統制がなされていることもそう思う一つの理由だった。
 
母には、着替えのTシャツを全て指定して持ってきてもらった。
何処であろうが、少しでもお気に入りの服を着て居たかったから。
ラッドミュージシャンとmilkboyのTシャツにきのこ帝国、Syrup16gのバンドTを持ってきてもらうよう頼んだ。
それらも看護師によってチェックされた。
買ったばかりのラッドミュージシャンの8000円のTシャツは見るも無惨にタグに名前を書かれてしまった…。
 
そこでひとつだけ、没収されたものがあった。
看護師によれば「このデザインは他の患者さんに危害を与えかねないメッセージが書かれているので…」と言われたのはSyrup16gの「再発」ツアーのTシャツだった。
 
ちょうどその日、彼らは東京での公演「Kranke」リリースツアーを行っていて「患者」と書かれたTシャツを売っていたけれど、それなら良かったのかな。患者だし。他の患者さんも患者だし…。

救急車より愛を込めて~ブロン錠の白、胃洗浄の黒~

誰がこの文章を読むかわかりませんが、先に述べておくことがございます。

この一連の出来事に関わった友人、知人、そして両親、親戚に多大なるご迷惑とご心配をお掛けしたことを深くお詫び申し上げます。

関係した人物の多さに、ことの重要さと無知で視野狭窄に陥った自分がどんなにひどいことを巻き起こしたかということに対し、深く反省しておりますことを勝手ながらご理解くださいませ。

そしてそのことが大きな精神安定の効果をもたらしているということを知っていただきたく思い、感謝の辞を申します。

 

先月に続き私はまた死のうとしていた。何が原因だったかは、最早定かではない。

私はしょっちゅう、自分を絶望からの死に追い込まないために、次々と約束を立てる。

約束事のあるスケジュール帳、アルバイトの予定表を眺めていた。それはどちらも自分の誇りであり生きる糧でもあった。

しかし何故だか、急に何もかもが不可能になってしまっていて、気がつけば非常に強力な鎮静作用のある睡眠薬を30錠服用した。

それをしていることを自覚したのは遅く、もはや行為が起爆剤となりストックしておいた様々の種類の睡眠薬、精神安定薬、鎮痛剤などを次から次へと消費していった。

ゼリーに混ぜて勢いよく飲む、否や食べ尽くした薬を包んだシートはあっという間に山積みになっており、100錠はゆうに超えていた。 このまま死ぬのだと思った。

服毒による死は望めなくとも、昏睡状態に陥り十数時間後には簡単に窒息死しているだろうと考えていた。

簡単な遺書めいたもの、なんの感傷もなしの自身の死後の身辺のことについて書き連ねたものを机上に置き、意識が落ちるのを待つように、死を目前に控えた罪人のように一服していたのだが、なかなかそう簡単に意識は落ちてくれない。

 

友人からの連絡に出る。

電話をしていたところで私の意識は途絶えた。

 

 

それから1日と半日が経ち、私は朦朧とした意識のなか母の顔を見た。そこはICUであった。横たわりひどい発熱と肺炎を起こしていたようで、目を開けるやいなや私の悪事の一部始終を聞いた。

どうやら友人の連絡により救急車で搬送され、胃洗浄を受けていた後だったようだ。

意識を取り戻し、重い上体を起こすや否や、看護師になにかオレンジジュースの味のする透明な液体をたっぷりと飲まされた。それが下剤であったことは後ほど知った。

 

よく、咳止め錠をオーバードーズするとその糖衣錠から白い便が出ると聞くが、胃洗浄を受けると真っ黒な便が出る。

あまりの不自然な黒さに私は驚いた、体から異物が出ている!

どうやらそれは胃洗浄をした後に体に活性炭を取り込み炭に毒物を染み込ませ、それがそのまま出てくるからとの事だった。 そのICUにて車椅子なしで移動ができるようになった頃合いには、これから医療措置入院で精神科の閉鎖病棟に移動する、との話を聞いた。 受け入れ先の病院のベッドの手配が出来、翌日にそちらに移動することの運びとなった時ちょうど新しく救急の患者が搬送されて来ていた。

私と入れ替わりにまた、オーバードーズによる胃洗浄を受けた患者が下剤を飲まされている光景をはっきりとした意識で目の当たりにした。

 

自殺未遂はつね日頃からおこなわれている。

入れ替わり、立ち替わり、自殺に失敗した患者の複製の処置がそこで行われており、私はその一人だった。

2015年5月の映画鑑賞記録5-9

人からよく勧められたり話題に上がるだけ面白く、奇妙な話。ストーリーの作り込みや発想に豊かさを感じた。普通に見えて、いたるところがあべこべでトンチンカンな演出はアリスのような世界観とも共鳴し得ると思う。穴という発想がなかなか斬新でもあるし、これは現代美術とりわけアンディー・ウォーホルの作品に込められたメッセージも内包している。誰もがその穴の中に入れば、その時間だけスターになれる。それをよりコミカルでドラマティックに表現しているところがこの作品が映画である意味をもたらしている。
 
 
パシフィック・リム ブルーレイ
日本のSFアニメや特撮の影響を受けているな、ということが、なんの前知識なしに見てもひしひしと伝わってきて面白かった。「カイジュウ」との戦いを描いているものの、戦う際に人間が機体に入り、機体とシンクロするという部分からは、とくに特撮よりも近年の日本のSFアニメの影響をより強く感じた。そちらに重きを置いているのだ、ということを。監督が日本好きであることがよく伝わってくる。エヴァンゲリオンの影響がいちばんに色濃く出ていると言われそうでもあるが、AKIRAのネオ・トーキョーのような舞台も出てきたり、また、明らかに攻殻機動隊草薙素子さんとバトーさんからインスパイアされたであろうといったキャラクターデザインのなされたある種コスプレ的な登場人物も出てくるため、そういった要素も単純に楽しめる上に、内容もそれらのアニメが好きな日本人ならアツく楽しめるパワーのある一本だったと思う。
 
再鑑賞。「アレックス三部作」のなかではやはりこれがいちばん好きだ。ボーイ・ミーツ・ガールほどゴダール崇拝を表出しておらず監督の豊かな個性が生かされており、それもやんわりと残しつつカルトSF作品のような物語設定、ポンヌフの恋人より(も、もちろん名作だと思うし大好きだが)も大衆的でない点においてバランスがかなりよくとれていると再三感じる。そしてなにより、アレックス扮するドニ・ラヴァンの輝きを若々しく描きだすことに成功している。そこが個人的にとても好きであり、あのダンス&ダッシュのシーンは今まで観た映画の中でも最も印象的な場面のひとつだ。
 
■ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ 
観た時とても疲れていて寝落ちしてストーリーが掴めなかったのが悔しいので、もう一度見て計算され尽くしたシナリオの面白さに感嘆したいと思う。設定や舞台がとても好みのものだった。とにかく頭が元気な時にもう一度観たい…。しかし、ストーリーは全把握できずとも断片的にもとても笑える、嫌みたらしいジョークがたまらなかった。

自動車学校を中退した話(過去ログ)

【過去のブログに書いた話ですが、反響が多かったので再掲します。】

 
本日をもって普通自動車の仮免許が取れず自動車学校を中退した。その日々を振り返ろうと思う。いわゆる免許合宿の話だ。
 
少しの単位を残して留年していた私は、秋の必修科目の単位をまだ取り終えていない為に春学期は休学し、秋に復学して卒業する予定だ。
 
春学期を有意義に使おうと思い、先ず一番初めに普通車の運転免許を取ろう、と思いたった。
地元は車社会で、父親が交通関係の仕事や就職に明るいために”普通免許は絶対に取れ”とずっと言われていた。
車に乗らずとも、運転免許を持っていることが就職に大きく関わるのは明らかな事で、それを資格欄に書けるか書けないかと言うのは社会的に大きな隔たりがある。
4月は、通常は社会人も学生も新生活を始める、いわば合宿で免許を取る上でのオフシーズン、というわけでもっとも安く運転免許の講習を受けることができる時期だ。
部屋が一人部屋で、三食付き。乱れがちな生活リズムが正されるというアドバンテージもある。体調も寛解しつつある。そのこともあり、私は免許合宿をするに至った。
国内で一人旅をするのが好きな私は、どうせ行くなら遠くが良い、と、関東から遠く離れた四国で、2週間弱泊まり込みで教習を受けること決めた。
入校日の三日前に東京を出発し、京都の鴨川で桜を眺めたり、岡山のゲストハウスに泊まり遠方の知人と遊んでから四国にある教習所へと向かった。
 
教習のペースはとても早い。しかし、教習のほかにする事はほとんど無いため忙しさに追われるということもなく、無理のないスケジューリングでトントン拍子に勧められていく。
2週間毎日講習はあり、2回の筆記検定と2回の実技検定が行われ、それをパスすると次に進める仕組みだ。
通常でなら1、2回で最初の筆記検定を終わらせなければならなかったところ、5回も落ちてしまった。簡単なペーパーテストなのだが、私にはなんだか難しく、何を問われているのかよくわからなかった。そしてペーパーテストをなんとかパスすると、仮免許試験が受けられるのだが、そこの実技でも何度も何度も大きな失敗をし、何度も補習を受けることとなり、見兼ねた講師はたくさんのアドバイスをくれた。
そこで仲良くなった同日入校者たちにも慰めてもらい、つらいながらも真面目に受けていた。
通常の人々でなら、その仮免許試験も1、2回受ければ簡単に取れるものの筈だったが、私はいつまでもノウハウを理解できず、多くのメモを取っても何を言われているのかわからないことが続く上に、うまくいくやり方を教えてもらって実践しても、どうしてもミスしてしまうのであった。
私がペーパーテストの試験に3回落ち、仮免許の試験に1回落ちた時点ですでに、仲間たちは修了検定と呼ばれる卒業試験に向けて頑張っているところだった。
何度やっても失敗する。フィードバックを積み重ねても当たり前のことが出来ない。先に進めないために延々と同じことを繰り返し続ける補習での運転実習。高まる周囲からの心配の声。
それでも冷静さを欠かず真っ直ぐに修練を繰り返していたのだけれど、気づけば運転席に乗ることや自動車学校に向かうことが恐怖の引き金になっていた。
運転席に乗ろうとするとパニックを起こすようになり、自動車学校では音のざわつきや頭痛やめまいに悩まされるようになった。
このままでは気がおかしくなってしまう、と思い、もう私にはできないものだと諦めて退学することにした。講習が受けられないんだから、いてもどうしようもない。
 
明日の朝、同日入校者達と共にスーツケースを持ち同じバスに乗って駅前へと向かう。
この2週間時間を共にした、本免許の技能検定を受ける彼らと、仮免許さえ得ずにもはや金と時間を失って帰る私とを平等にバスは乗せて進むだろう。

2015年5月の鑑賞記録1-4

今週のお題「映画の夏」

観たビデオの数:15本
観た鑑賞時間:1940分
 
地獄の黙示録 特別完全版 [DVD]
監督:フランシス・F・コッポラ
二度目の鑑賞。1度目は記憶が朦朧としたときに見たため気づかなかった冗長さに失礼ながら何度も寝落ちしてしまった。コッポラの作品は長いがその分中身が詰まっていると言う点において、やはりゴッドファーザー2に勝るものはないだろうと思う。しかし、ストーリーや作中の混乱した空気を伝える為に必要な200分だった。やはりThe DoorsのThe Endと作品の持つ空気が見事にシンクロしているところが一番のポイントだ。マリファナLSD、阿片とサイケデリックで東洋趣向の演出が生み出すなんとも言えぬ感覚に直接訴えかけるドラッグ的な要素が好きだ。寝落ちはしてしまうが主人公がカーツの元に赴くシーンは何度でも観たいと思う。そして忘れていけないのは、やはりマーロン・ブランドーの狂気の極悪っぷりだ。
 
こちらも視覚的ドラッグ要素満載の、映像美の素晴らしい作品。物語はとかく映像にひたすらこだわりを感じた。これは麻薬を摂取した主人公が東京を天井から見上げるカットがよく描かれているが、外国人からみた新宿とりわけ歌舞伎町がどのように映るのかということがよく伝わる点が特に面白い。自分にとって日常になってしまっていることも新しい切り口で見ることができるようになるような、どちらかというとサイケデリック体験をしたいというよりは斬新かつ新鮮な気持ちにさせられるといった頭のチューニングを直させてくれるような作品だった。映像の面白さが断トツだったので、同監督の他作品を観てみたい。
 
■グッド・ウィル・ハンティング 
言わずと知れた名作だが観る機会がなく、良いタイミングで観ることができたかな、といったところ。自分にとって、主人公の生き方には非常に共感できる。また、サントの作品は永遠の僕たちしか他に見たことがなかったが独特の撮り方をしている点が印象的であった。サントの多重露光の光の暖かなモアレは映画の雰囲気をより一層血潮の通る人間の純粋な部分を引き出しているように思えた。
 
監督:グラント・ジー
その名の通り、ジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリー。24hour party peopleでも前半に同バンドは取り扱われているが、とくにマッドチェスターのクラブシーンが好きなわけではなくジョイ・ディヴィジョンそのものが好きであればこちらを見た方が面白いと思う。なかなか見つけることのできなかったメディアではあったが偶然DMMのレンタルで簡単に借りることができた。特に、イアン・カーティスにフォーカスが当てられているため、好きであれば一度は観ておくべきと推薦したい一枚だ。なかなかユーモラスかつ衝撃的で、ドキュメンタリー作品に慣れていない人でも楽しめる。前述した24hours〜よりも、ずっとずっとマイナーというか、取り扱いが少なく知名度も低そうなのがとても勿体無いくらい良い作品だ。
余談ではあるが、これを鑑賞したのがイアンの命日の前日であったから翌日のトップスは言わずもがな、でした笑
 
(後日に続く)
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