転がっていたつもりが転がされていた

いつの間にかとても頭が悪くなっていて、感覚だけで回答して満点を取れていた理数分野のテストも、気づけば平均点になっていて、身長が伸びるにつれて少しずつ、それは平均以下になっていった。

 
何もしなくても許されるのは束の間だけで、成長するごとに努力が必要になるし、それだけでは足りず掌の上の砂の粒のようにぽろぽろと才能は零れ落ちて、握った掌の汗にこびりついて取れなくなった砂だけが世の中を渡り歩くことができる。
 
努力はとても難しいことで、常に適切な速さで歩み続けなければいけない。立ち止まっていれば落ちてしまうし、途上で何かの問題に引っかかってしまえば、それを取り戻すべく走らなければならない。
 
しかし、いくら走ったり泳いだり必死で進もうと思えど生まれや育ちや環境的要因という壁が立ちはだかり、壁を打ち破る力も飛び越える力も持てずにいる状況は増すばかりだ。
 
そして生きていると人は必ず石を投げられる。どんなに環境的要因に恵まれた人間にも石は飛んでくる。今いる場所から、高みを目指せば目指すほど苦痛は伴うしでも登らなきゃいけなくなるし。うまくかわしていかないと壁を登れないし落ちてしまうし、壁に突進してぶち壊す体力もなくなりそのまま歳をとり朽ちていく。
 
生きるのは難しくて、どんなに難しく考えなくても力が必要で赤ちゃんの柵のついたベッドを粉々にして毎日を自分の力で作っていかなければいけない。そうしないとご飯を食べることもできないしいい生活なんてできやしない。
 
どんなに運に恵まれた人間でもどこかはつらいししんどいし、だからどうせと思ってダラダラと生き続けているけれどそれでも必要最低限のことはこなさないといけないし、楽しいことをひとつする代わりに何かひとつ面倒臭いことをこなさないとどんどんツケが回ってくる。
 
そうやってラクしているうちに壊れるのは自分自身だった。壊れたものはもとにはもどらない。
ガラス瓶をぶち壊して、元あった形に直そうと思ってもすぐ粉々になるし、風化して粒状を描き風に吹き飛ばされ跡形もなくなり死んでしまって取り返しがつかなくなるだろう。
 
みんなみんな壊れていくけれど元あったかのように直すこともできるし、歪だけど作り直すこともできるし、頑張ればもっと綺麗なものができるかもしれない。
 
負けじと歯を食いしばって楽しくて満足のいくものにしなければいけないし、ガラス製の武器が壊れたって壁はつねに殴らなきゃいけない。
 
自重に負けて崩れる階段の足場を少しずつでも登らなきゃ、その先には天国のドアがあって、途中で翼が太陽に溶けて落っこちても登らなきゃって、最近やっと気付きました。