皮膚とこころ

心が醜くなると、見た目も醜くなる。

ところで私は実家に帰ってくるたびに精神的な不調に毎回見舞われるのだけれど、今回は比較的安定していたように思えた。
 
だから、いつもよりは長い時間をとり地元にいたものの、やはり調子が悪くて自室にこもりっきりでほとんどの時間をネットサーフィンと睡眠に費やした。ずっと横になってコミュニケーションも取らないでいるとあらゆる感覚が鈍り思考回路が歪んでいくのを感じる。
 
その心象風景は高校一年生の冬から二年生中頃まで引きこもりだった時によく似ていた。
 
高校二年生に上がる段階で中退し、通信制高校に編入したのだけれど、その時の学生証がまだある。大学の学生証も笑っちゃうくらい垢抜けずもっさりしているけれど、とりわけ後ろめたさも持たずに人に見せてネタにできるほどのものだ。
通信制高校の学生証は引きこもり真っ只中の際に撮った証明写真で、顔色は青白く、いびつな表情に、何よりも目つきが”世界を憎んでいるぞ!!”みたいな犯罪者級のそれだから絶対に見せたくないし黒歴史でもある。
 
今回の帰省でまた引きこもりつづけてふと自撮りをしたら、久しぶりにその学生証と同じような顔つきになっていたから心底残念な気持ちになった。何も変わってないと思った。あるいは元に戻っちゃった、と。
 
普段から人前に出たり気持ちが前向きな時は自然と表情が生き生きとしてくるということがすごく分かって、同じ顔のはずなのに人相はとても変わるものなんだなと実感した。
 
 
私はある時からひどい醜形恐怖になって、それも高校を中退した一因できっかけは本当に些細なことだった。
ずっと無口で本ばかり読んでいた根暗な私だったけれど、話したこともないクラス1の人気者だった男の子になぜか好意を持ってもらえてとても緊張していた。
 
コミュニケーションが苦手だったのと自尊心の低さと卑屈さから、その好意をうまく返すことができなかったのが今ではとても勿体無かったと思う。あそこで今ほどおしゃべりになれたら
こんなにこじらせてなかったのかな、もっと華やかで普通になれていたのかな、と何度も思い返す。
 
だけれど私はオタク・グループの一員で、彼はもちろんのことウェイで、ギャルとよくつるんでいた。物静かな分地獄耳だったので、幸いいじめを受けたことはないのだけれどギャルの大将が”言うてあの子よく見ると可愛くないよね”と私について言っているのを小耳に挟んでしまってそれから顔を見せるのがひどくいやになった。
 
大学に入ってからは随分垢抜け、素敵な先輩やかわいい後輩に恵まれたとは思えど、周囲の同期の女の子からはとくに可愛くないくせに、ハゲてるくせに、しゃくれてるくせに、目も鼻も歯並びも整っていないくせになんでアイツが…と陰で言われていると確信している。扱われ方でもすぐわかる。簡単に捨てられるからソコソコやれそうなブスだと間違いなく思われてる。
 
それ以前にもさいわい親には容姿を可愛がってもらえていたから、勘違いして中学校の頃にコスプレをしていたけれど、あまりの写真写りの悪さに絶望して顔のパーツが本当にいやでいやになってどんどん引っ込み思案になっていった。
 
中学生の頃といえば、笑い顔が猪木に似てるだとか、言った側は軽い冗談で悪意はなかったのかも知れないけれどそういうことを言われて人前で笑えなくなったこともあった。
 
そんなちっぽけな言葉にすらひどく傷ついて自分の顔に対するコンプレックスはどんどん堆積していった。それから自然に笑えるようになった時は表情の豊かさを好いてもらえるようにはなれど、100回お世辞でかわいいと言われようが1度ブスと言われたらその言葉の方がずっと重いと知っている。
 
それからどんどん根暗になっていったのだけれど、このままでは良くないと思い2ちゃんねるの美容板を見て造顔マッサージや鼻叩き、目の筋トレなどを試みたもののすぐ飽きてしまった。
 
それから服装や髪型に凝り始めることになりもした。そこで気付いたのは人に見られストレートな批評をうけたり客観的に自分を見ることでそれをバネに容姿も雰囲気だけでも多少マシになるということだった。
 
私が友達に写真を撮ってもらったりヘアサロンのモデルを引き受けたり水商売に足を突っ込んだのもその手段の一つでもある。
 
どこが悪いのかをストレートに理解することができるし、逆に自分の長けたパーツも把握することができるからだ。
 
しかし現実はそううまくいくこともなく、友人や恋人の愛の言葉も、真っ赤な他人のささいな一言で全てが台無しになる。バネにできるほど強くなかった。身の程が知れたという点ではとてもありがたいけれど、自分にとっての長所がどんどんわからなくなっていく。
 
ずっとそんなことを繰り返してばかりいるから成長していないし、自分に似合う身分相応のスタイルを貫くほどの自信もない。人前に出る時は、自信があるふりをしているだけ。
 
顔の美醜は生活態度や堂々と構えた心持ちで変わるものの、やはり自分の容姿が気に食わなくて仕方ない。
とりわけ両親や周囲の人々の容姿が整っているからつねに生きていて、人前に顔をさらしていて、申し訳ありませんという気持ちでいっぱいだ。
 
自分の顔を人前に公開することはモチベーションを保つためでもある反面、わたしにとって一番の自傷行為でもある。それは時に快楽にもつながることもあれば苦しみでもある。
 
さすがに美的感覚が狂ってしまうほどのメイクや整形をしたいとは考えないし狂わないと思うけれど、どす黒く歪なコンプレックスの塊をつねに抱え続けているのはとてもつらいことだし、欠点ばかりのわたしは少しでも自信を持ちたいし生きる上での苦難から少しでも開放されたくてどうしようもないしできるだけ愛されたい。外面に自信が出れば性格ももっと強くあれるのにと思う。どうにかして負の連鎖を断ち切りたい。