閉鎖病棟からこんにちは⑵〜子宮に還る〜

刑務所のような場所で、思考力と自由を奪われざるを得なかった人々に悲しみを覚えてはようやくここまでたどり着いてしまったのだという自分自身にひどく呆れ返った。

 
両親や、親族にもそのことは知れ渡り、母親は隔日で見舞いに来てくれた。一人っ子がこのように生まれ育ちこんな親不孝をはたらくというのは、ひどく耐え難い事だっただろう。
それでも”一番つらいのはあなたでしょう”とフォローをしてくれて、とても情けなくなった。
父親も忙しい中田舎から一度面会に来たが”お前は警察にも世話になってまるで前科一犯だな”と笑い飛ばしてくれた。
 
正直、わたしには居場所がどこにもないように思えていた。どこへ旅をしようと、どこに住もうと。
生まれ育った土地でさえ自分はよそ者だと感じていた。フランツ・カフカの小説にひどく感情移入できるほどに、どこにも帰属意識を感じる事がどうしてもできないままこの歳になってしまった。
それはどうしてだか、まだまだよくわからないし、その気持ちは続いている。
カフカの生い立ちのような、そう感じさせる要素などわたしにはどこにもなく、純粋な日本人であり帰る家も確かに用意されているはずなのだが、どうしても実家にいると体調を崩してしまうからなかなか帰れずにいる。
 
そうやって体調を崩す自分にも嫌気はさすが、それで一人で様々なコミュニティを転々としている不良な一人娘を両親が少しでも赦してくれた事には、感謝を隠せず、なにも孝行ができない己が身をひどく恥じもした。
 
病棟の中では、まだ、思考を奪われていない人間が何人かいた。半数以上の患者は自ら会話をしようとはせず、虚ろな目をしていたものの、やはり若くして私のようなきっかけで入院している患者も幾人かいた。他には、薬物の二次障害をもつ患者、原因不明の難病にとりあえず”統合失調症”と名付けられたのではないだろうか?と思うような状態で入院している患者もいた。
彼らとはすぐ打ち解ける事ができて、あまりにも暇を持て余している時間にトランプをだらだらと続けながら、沢山の話をした。
 
他には広間にある本を借りて読んで読んだり、久しぶりにTVを眺めていた。23時までの金曜ロードショーが終わるのは23:20分で、ちょうどクライマックスのシーンが見られなかった事をそこにいた皆で嘆いたことが思い出に残っている。
 
暇は、様々なことを考えさせる余裕を生み出す。
疲れたときわたしは四人部屋のベッドの仕切りになっているカーテンを閉め切って、胎児の姿勢でただただぼうっとしていた。
今までのことを振り返ったり、いつものように考え事をしたり、なにも考えずにいることも多かった。
仰向けになれば4つの乳房のようなランプ、火災報知器などがついた見慣れない天井が広がっており、天井を無心で見つめるのも好きだった。
また、仕切りのペパーミントグリーンのカーテンはひらひらと揺れてドレープを描き、高く広がりベッドに寝転がる自分を包んでくれた。
まるで、胎内に回帰したような気持ちで、それがなんとなくゆらゆらと安心感を与えさせた。
 
硬くて週に一度しか変えられないベッドのシーツ、簡素な枕。
それでもそのカーテンの揺れに気持ちを任せれば、とても純粋な気持ちになることができた。