精神のスピード、制限のある体と時間

気づけば、最後の更新からはだいぶ日が経っていた。日常の変化に忙殺されこのブログのことはすっかり忘れてしまっていた。大学を卒業し、恋人の家に住み暮らしている。

ちょうど1年前に更新した、閉鎖病棟入院記は今となれば過去のことのように感じる。今日この頃は、精神がどん底に来ては「去年よりはマシだ、去年よりは…と」心で唱えている。

 

大学を卒業できたことは、世間から見たらちっぽけな事ながらも自分の中では数少ない誇りになっていて、それでなんとか生かされている。あまりに弱すぎて何もできない自分が生きることを、自分自身が許すための鍵となっていると思う。それはどんな成績であろうが、自分自身の力で、あの手この手を使い、成し遂げ、得たことのひとつだからだ。

大学は出たけれど、今は察する通りプータローである。卒業が決まってからは晴れやかな気持ちで引越しの荷造りをテキパキこなし、スーツケースひとつを引っ張り恋人の家に転がり込んだ。そして息つく間もないタイミングで懇意の方から洋菓子店でのアルバイトを紹介され、就職活動をひとつもしないままフリーターとして賃金労働をすることになった。仕事も楽しく一週間もないうちに職場で自分がリーダーシップを発揮できたことの喜びと、着実に見合った給料がもらえる喜びでいっぱいで、私はなんてラッキーガールなんだ、とまで思ったくらいだ。

 

しかし、案の定それが長く続くということはなかった。発達障害によく見られる「過集中」が原因か、体力のないままいきなりフルタイムで働き始めたことからか、その双方ともが災いしたのだろう、自己管理ができずろくに食事や睡眠もとらないまま通勤2時間ほどの場所に満員電車に揺られてひとり店番をしているうちに、目に見える形で痩せていき、ひどい首こりや群発頭痛やめまいに悩まされることが日に日に増えていった。免疫力の低下からも仕事前に必ず服用していたストラテラコンサータの副作用が強く出るようになり、出勤前に吐くことが増え、いくら働く意志を持っていても体がうまく動かなくなった。少人数精鋭のなか、中心となって仕事をしていたため上からの良い理解は得られなかったが、それから徐々にシフトを減らしてもらい、スピーディーに辞職への手続きへと至った。

 

それからというものの、自身の発達障害をいままでよく見ていてくださっていた主治医からも、急な副作用と体調の悪化により薬を処方しかねることや障害に対し対策する手立てがないことから匙を投げられてしまった。食事も取れず眠ることもできず、ただただ布団に伏し続ける日々がしばらく続いた。

 

そんな毎日を繰り返すことで夏が来てしまったのはあっという間すぎて、現実をまだ受け入れられていない。新しい病院にかかりそこで治療を受けながらも療養という形で相変わらず引きこもりがちだ。毎日様々な不安で頭をいっぱいにしながらインターネットとコンビニと家を往復している。

この頃はもう誤魔化している。貯金を食いつぶしながら日がなゴロゴロ、ダラダラと好き放題ゲームをしてお菓子を食べてぐうたらニート生活を恋人とそれなりに楽しく送っている、と思うようにしている。PCでSNSをボケっと見て(Facebookは心のために回避している)、絵を描いて、最近ハマっている、デレステだとかナナシスとかのアイドルリズムゲームのイベントをひたすら走りまくって遊んでいる。そのうちに心も体も自然と治ってくるから、焦らないようにと言い聞かせている。